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Posted by さがファンブログ事務局 at

2011年09月15日

独立30周年

1981年9月に独立して早くも30年になりました。

周りの反対を押し切って独立したものの、今振り返ってみれば、無茶なことをしたなと懐かしく思い出されます。

先に制作については「独学秘話」と「オリジナル技法秘話」として書いてきましたが、明日から販売に関して制作以上にさまざまな出来事がありましたので、「職人の営業奮戦記」を書いてみたいと思います。

また、30周年を記念してネット上でのイベントを考えています。  


Posted by 青風 at 08:47Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月16日

職人に求められる営業能力

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー

 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・求められる営業能力・・・①



職人にとって営業(販売)ほど難しいものはない。


ついため息まじりで萎えそうになることがある。


しかし、独立して作品を創っているからには販売をしなければ飯が食えない。


だから、創作以上のエネルギーで臨んでいるように感じる。


営業が得意な人は逆かもしれません。


人間得手不得手があり世の中がうまくいっているのでしょう。


ところが、営業マンを雇う力が無ければ自分でやるほかない。


最近思うことがあるのですが、芸術家や文人あるいはスポーツマンでさえ営業能力が必要とされていると。  


Posted by 青風 at 07:07Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月17日

絵が上手いだけだは売れない

昨日は伊万里のポータルサイト「まるごと伊万里」主催でフェイスブックの勉強をしてきました。

次から次に新しいシステムが誕生するので、どれがいいのかわからなくなっています。

でも、挑戦してみようと思っています。



ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー

 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・求められる営業能力・・・② 



先日あるテレビ番組で、登山家が費用を捻出するためにスポンサーを探すため、アポなしで飛び込み営業を必死になってやっている姿をみて「やっぱりあなたもか」とうなずいてしまった。


芸能人で絵を描いている人が何人もいますが、個展をしても飛ぶよう売れている場面を見たことがあります。

絵は当然うまいのでしょうが、上手いだけだは売れないのがこの世界。


芸能界で活躍していればいるほど絵も売れます。


まさに、これは営業力です。

  


Posted by 青風 at 17:39Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月19日

一流芸術大学を卒業しても

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー


 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・求められる営業能力・・・③ 



一流芸術大学を首席で卒業し、大学に自分の作品を置いてもらうような能力の高い芸術家でも、作品づくりだけでは自分の生活でさえ出来ないでいます。


美大・芸大・学部を合わせると何十とあり、首席で卒業する人が同じ数だけ誕生。

生き残るのがいかに難しいかです。


陶芸家も同じです。日展何回入選と肩書があってもなかなか売れるものではありません。

入選してからが始まりと言っても過言ではない。

陶芸家など色々の分野の芸術家がマスコミに登場しますが、売れている作家はトークが上手です。

これも営業力です

  


Posted by 青風 at 07:04Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月20日

芸術は生活ではない・・・?

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー


 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・求められる営業能力・・・④ 



芸術は生活ではないかもしれませんが、現代社会では通用しない。

特に家庭を持って子供がいればなおのこと。

ポール・ゴーギャンが家庭を捨てて2度タヒチに渡りましたが、貧困にあえぎ自殺を図っています。

未遂には終わったものの絵が本当に認められて売れだしたのは死んだ後です。

私はゴーギャンの絵は好きですが生き方は真似できない。

本人だって生きているときに認められたかったはず。





  


Posted by 青風 at 07:59Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月21日

トイレの便器も芸術

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー


 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・求められる営業能力・・・⑤ 



ところで私が創作している陶芸宝飾が芸術か芸術でないかは、私が決めることではなく人が決めるものだと思っています。

古伊万里は作った人たちは芸術として作ったとは思わないし、浮世絵だって芸術として描いてはいない。

しかし、今は立派な芸術です。

ある本に芸術家と認められた人が、トイレの便器を美術館に展示したらそれが芸術になるとあった。

芸術とは人が決めるもののようだ。

私が尊敬し大恩人でもある今は亡き詩人の松永伍一先生から「技は命の力であり 藝は心の歓である」という言葉を若いころ頂きました。

技を磨いて創作することによって作品に命が生まれ、人の心に歓びや感動をを与えられるようになった時それは藝術になると解釈しています。
  


Posted by 青風 at 06:35Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月22日

就職はしたけれど

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・① 


私が独立後どのようにして、今日までやってきたか。

その前に少し私の職歴を紹介しておきます。

大学を卒業後地元の造船会社の下請けに就職。(昭和50年)

従業員が孫請けまでいれて約300名程度。そこの事務職。

とはいってもなんでも屋です。

事務関係が暇なときは現場に行って技術が何にもないので、ほうき片手に邪魔にならないように掃除をしたり、現場の職人さんを送り迎えしたり、朝6時半に家を出て帰るのはほとんど夜9時10時です。

ところが2年もすると造船不況で仕事が減り、先ず成績の悪い孫請けのほうから整理です。

社長が言い渡すことになるのですが、現場と事務所の橋渡し的な立場に居た私にもとても辛いことでした。
  


Posted by 青風 at 08:19Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月23日

リストラを告げられた日

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・② 


同じ釜の飯を食い汗を流した仲間に、仕事が無いからやめてくださいと言い渡す時は何ともいえずつらいものです。

おそらくこのようなことは現在でも日常茶飯事に起きていることと思う。

言い渡す方もつらいのですが、明日からの飯をどうするかということですから言われた方はもっとつらいはず。

しかし、急激に仕事が減り従業員も減っていき会社自体が危なくなってきた。

ある日、経理の役員さんから「この会社は長くは持たないから、おまえも他にいい仕事があったら、今のうちにやめた方がいいぞ」と告げられた。

今度は私の番です。  


Posted by 青風 at 08:40Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月24日

ダブル倒産

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・③ 


下請け会社の中で噂は広がっていて、しばらくすると他の下請け会社から誘いがあった。

ここは同じ造船所だけの仕事ではなく他にも仕事先があるから何とかなるのではと思いそこに移ることに。

辞めた会社は半年もすると倒産。

新しく勤めていた会社も同じような仕事なのでここもだんだんと仕事がなくなり、1年後には倒産。

さて、どうしようか。  


Posted by 青風 at 06:54Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月25日

職がない

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・④ 


もう同じような仕事はしたくなかった。

職業安定所に行って職探しをしても自分ができるような仕事はない。

しかし、遊んでいるわけにはいかず、つなぎに市役所の臨時職員として働きながら職探し。

市役所で仕事をしていて、臨時職員だったからかもしれないが、これでお金を頂いていいのだろうかと思うくらい暇だった。

造船所では効率を上げるために1分間に歩く距離まで決められていて、すべてにおいて無駄をなくすことを言われていた。

早く歩きすぎてもだめ、遅くてもだめ、早すぎると怪我の可能性がある。遅いと時間の無駄というわけだ。  


Posted by 青風 at 07:23Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月26日

鉛筆の教え

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑤ 


上司に言われたことで今でも役立っている考え方がある。

「事務を執っていて鉛筆を机の上に置くとき、鉛筆の芯を手前に置くか頭を手前に置くか」

私にとってはどうでもいいような質問だった。

しかし、そこに大きな意味が込められていて

「鉛筆の芯を上方向に置く動作をすると、置くときに芯が折れる可能性がある」

「再び鉛筆を取るとき取りづらく時間がかかる」と言うのです。

つまり、物と時間の無駄をなくすこの考え方ですべての行動をするようにと。


大学を出たばかりの私にとっては、そこまでやるのかと疑問にさえ思えた。

しかし、その後無駄を無くすことがお金になるのだと理解できるようになった。

鉛筆の取り方置き方でこの教えをされたのにはもう一つ意味があった。

それは、事務職だから毎日その動作をするので、いつもこの教えが行動の中で頭に叩きこまれ身についてくるのです。

  


Posted by 青風 at 06:57Comments(2)●職人の営業奮戦記

2011年09月28日

やっと仕事が決まった

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑦ 


出来るだけ早く仕事を探して再就職をと焦りが出てきた。

8ヶ月たったころ有田焼の商社に親せき筋から紹介があり面接を受けた。

面接日の前に焼き物業界を少しでも知っておこうと、有田の町中を少し歩いたのだが、何とも風情のある街並みに感動した。

伊万里の隣町でありながら始めて訪れ、おそらく築100年前後と思われる建物の重厚さに有田焼の力と勢いを感じた。

紹介と言うこともあり簡単な面接で雇ってもらうことになり、翌日から勤めることになった。

ここが私の焼き物との付き合いの始まりです。


このころのこの会社は業務用割烹食器とギフト用一般食器の卸が主な営業。

私は先ず窯元から注文した食器を集めてくる集荷の仕事をすることになった。

焼き物のことはほとんど知識が無かったので、先ずは基礎の基礎からです。
  


Posted by 青風 at 08:30Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月29日

和食器の名前

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑧ 


和食器の名前がたくさんあり未知の世界へ。

刺身鉢(さしみばち) 刺身千代口(さしみちょこ) 蓋物(ふたもの) 平蓋物(ひらふたもの) 袋蓋物(ふくろふたもの) 中付(なかづけ) 小付(こづけ) 向う付(むこうづけ)そば千代口(そばちょこ)土瓶(どびん)急須(きゅうす)湯呑(ゆのみ)仙茶(せんちゃ)反り仙茶(そりせんちゃ)天婦羅皿(てんぷらさら)とんすい 口変わり(くちがわり)焼き物皿(やきものざら)アユ皿 前彩皿(ぜんさいさら)れんげ 珍味入れ 醤油差(しょうゆさし) 水差(みずさし)まだまだあります。


これに焼き物独特の柄名(デザインの名称)が全部つく。

もちろん窯元の名前と裏名この裏名は同じ窯の中でも、違う名を付ける場合もある。
  


Posted by 青風 at 17:02Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年09月30日

商品の奪い合い

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑨ 


どこどこの窯に「染錦流水」の「天婦羅皿」と「とんす」を100組取ってこい。

と、こうなるとわけが分からない。

当時は有田焼も景気が良くて2トントラック2台で毎日毎日集荷に廻っていた。

売れ筋商品を獲得するのが大変、どこの商社も出来るだけ多く仕入れようとするので、窯出しの時間を見計らって自分たちで、まだ冷めきれずに熱いのを取り出して奪い合うように持ち帰った。

最初のうちはどれが自分の会社で注文したのかも分からないので窯元に聞かなければならない。

こうなると遅れをとって注文商品が手に入らなくなる。

納期が決まっているものだったら大変だ。

慣れてきて窯出し作業をする現場の人と仲良くなるとしめたもの。

次の窯出しの日にちと時間を教えてくれたり、事情で間に合わなかったりしたらちゃんと確保してくれるようになる。

こうなると楽しい。

集荷がうまくできないときは営業のほうから怒られる。

自分が取ってきた注文を出来るだけ早く納品して売れ上げを伸ばしたのだ。

そのことが次の注文につながるからなおのこと。
  


Posted by 青風 at 06:46Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月01日

儲かってたまらない

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑩ 


一つのデザインがヒットすると御殿が建つ。

有田焼波佐見産の焼き物で今でもテレビドラマの食事シーンで出てくる食器がある。

当時爆発的に売れた「めばえ」とうデザイン。

この商品は私が勤めていた商社では取り扱っていなかったが、他の商社の集荷の人によると奪い合いで喧嘩まで起きていた。

注文を受けた窯元が交通整理をしてもよさそうだが知らぬ顔だ。

商社と窯元でもめるより商社同士で勝手にやらせておいた方がいいと。

この窯元はこの商品で御殿が建った。

周りが付けた名が「めばえ御殿」。

このように大儲けする窯元がいくつもあった良い時代。

有田焼は他産地の焼き物(磁器)より丈夫で長持ちするから少しぐらい高くても有田焼がいいと言うのが売りだった。

ちなみに「めばえ」は今でも売れているロングセラーだ。  


Posted by 青風 at 07:13Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月02日

叩いてめおとし

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑪ 


有田焼が信頼されるわけのひとつに検品の厳しさがある。

まずは窯元で一度検品され、さらに仕入れた商社の方でも検品がされつら物(規格外)として落とされる。

商社の検査人が二級品と言えば窯元はそれを認めざるを得ない。

その結果で一級品と二級品の仕入れ値が変わってくるので窯元と商社は信頼関係がないとうまくいかない。

この厳しい検査があるからお客様の信頼がある。

検品の仕方は小さな鉄の棒で焼き物をチンチンと叩いて音の違いで見分ける。

見た目では分からないひび割れも叩いて音を聞くと、割れていないものは澄み切った音が出る。

割れていると鈍い音になる。

この作業を「めおとし」という。

もちろん見た目の検品もあり、歪み、傷、汚れなどを認入りに見る。


伊万里の大川内山(おおかわちやま)に鍋島藩の御用窯だった窯三十数件が今も脈々と焼き物を作り続けている窯元群がある。

その入口に「めおとしの塔」と呼ばれる磁器で作った14個の大きな風鈴状の伊万里焼があり、川にかかる陶工橋を渡ると自動で叩いて鳴る澄んだ音色は「残したい日本の音風景100選」に選ばれ、訪れる観光客に喜ばれている。
  


Posted by 青風 at 07:11Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月03日

かっこいい陶工

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑫ 


集荷に慣れてくると時間に余裕が出て検品の仕事もするようになり、一日何百何千と商品とみていると、商品に対する見る目がだんだんと厳しくなって当初見えなかった部分が一目で見えるようになる。

絵画の勉強でも良いもの本物をとにかくたくさん見ることと言われるのが理解でる。

自分で創りだすともっと見えてくるから奥が深い。


窯出しも自分たちでやるくらいだから、陶工たちが作業している現場も間近で見ることができ、轆轤を回しながら魔法のように土の塊から器を創っていく姿を見ていると、若者の感覚で何ともかっこ良かった。

あこがれの姿でもあった。
  


Posted by 青風 at 08:12Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月04日

いよいよ営業マン

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑬ 


陶工にあこがれながら窯元を廻り集荷の仕事が1年経過し、営業に配置転換された。

いよいよ力が為され数字にはっきりと出てくるのでやりがいがある仕事でもある。


焼き物業界の流通形態は色々だ。

1、窯元⇒産地問屋(商社)⇒消費地問屋(商社)⇒小売店(百貨店・路面店など)⇒消費者(ホテル・旅館・料亭など)

2、窯元⇒産地問屋(商社)⇒小売店(百貨店・路面店など)⇒消費者(ホテル・旅館・料亭など)

3、窯元⇒産地問屋(商社)⇒消費者(ホテル・旅館・料亭・百貨店など)


流通段階では様々な組み合わせがあり途中がカットされる場合がある。

しかし、窯元が直接消費者に売ることは当時はほとんどなかった。

あるとすれば陶器市の時くらいだ。

窯元が直接売ろうとすると、商社の方から圧力がかかっていた。
  


Posted by 青風 at 08:44Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月05日

見本を担ぐ

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑭ 


私の担当地区は東京を除いた関東地区が与えられ、消費地の小売路面店に卸すルート営業だ。

ひと月に一回程度御用聞きの形で訪問して廻る。

全国の担当が決まっていて一回目は前任者とあいさつ回りだからそれほど緊張するものではなかった。

二回目からが本番。

見本をかばんに詰め込み、カタログや虎の巻の単価帳などを合わせると20キロ近くなり、担ぐとずしりと肩に食い込むくらいある。

長年やっている人はこれで腰を痛めた人も多い。

新商品が出た時などは出来るだけ多く持っていこうとするからなおさら重くなる。

黄色い布に一つ一つ丁寧に包んで詰め込むが、窯元や商品名を確かめ特徴などを把握しながらお客様との会話のシミュレーションをする。  


Posted by 青風 at 08:20Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月06日

焼き物業界の符丁

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑮ 


新幹線で一路東京へ。

新幹線の中ではある勉強をしなければならなかった。

それは、業界の符丁を覚えること。

するするとよどみなく出るようにしていないと、お客様に信用されない。

焼き物業界の符丁は尺貫法等の単位をもとに出来ていて、例えば、尺=1 貫=2などと決めてある。(例えですから尺・貫は1・2ではない)

単位は無いので話の中で一円単位・万円単位・パーセントなどと判断しなければならない。

尺貫と言われたら十二円・一千二百円・一万二千円・十二万・12%などその場の状況で判断することになる。

単位を間違ったら大変なことになってしまう。

エンドのお客様の前で取引をすることがあるので業者間だけに分かるようになっているのだ。

何百回と繰り返し体に染みつかせたつもりだった。  


Posted by 青風 at 07:08Comments(0)●職人の営業奮戦記