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Posted by さがファンブログ事務局 at

2009年07月11日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(1)

伊万里で生まれ育っていますので、伊万里焼というのは自然な流れです。

陶芸を始めるとき大方の人は、自分のコップやおちゃわんから作るのですが、私は最初から装身具だけを作り続けています。

なぜかを結論から言うと、売れると思ったからです。

今から30年ほど前のことですから、覚えている方少ないと思いますが、当時フランスのリモージュ焼のアクセサリーがけっこう流行っていました。

しかし、伊万里焼で本格的にやっているところはなかったのです。  


2009年07月13日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(2)

有田では有田焼のアクセサリーを、かなり力を入れて作っているところがあり、私は独立する前は有田焼の商社にいたので一部取り扱っていました。

ただ、お土産品的要素がかなり強かったので、自分の中では、もう少しファッションの一部として違和感のないようなものができないのだろうかと漠然と思っていました。

そして、「自分で作れないかなぁ」と思い始めたのもこの時期です。

作る興味がだんだん強くなり、陶芸の本を買って少しずつ独学を始めました。

  


2009年07月15日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(3)

作ることに関しては、このとき本気で思っていたわけではありません。

それよりもこの頃(昭和55年28歳のとき)心の中を大きく占めていたのは、独立したいと言う気持ちでした。

その気持ちが爆発して昭和56年秋独立。

もちろんこのときにアクセサリーを作れるわけはありませので、販売での独立です。

普通の伊万里焼や有田焼の皿・コップ・壺などを仕入れて販売。

しばらくして、有田焼のアクセサリーを仕入れて販売するようになり、だんだんとその比率が高くなっていきました。





  


2009年07月16日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(4)

有田焼のアクセサリーを中心に販売するようになった頃、ビッグなニュースが紙面を飾りました。

     <波佐見焼世界へ>

   ------ニナリッチと販売契約------

      「婦人用小物」


昭和58年頃です

「焼き物のアクセサリーなど婦人用小物が、フランスのファッションメーカー、ニナリッチのブランドで全世界の販路に乗ることになった。」というものです。

この記事をを見たとき「やっぱり自分と同じような思いで焼き物のアクセサリーを作っていた人がいたんだ」と胸の高鳴りが止まりませんでした。

同時に以前漠然と考えていた「ファッションとして・・・ジュエリーとして・・・」の考えが間違っていなかったと確信しました。
  


2009年07月17日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(5)

波佐見へ行き話しを伺い意見を交わす中で意気投合し、なんと、私にも作品の販売をさせて頂くことになりました。

この頃すでに空港やホテルでの販売ルートを確立していたので、売れる自信はありました。

数ヶ月たったある日、ニナリッチの話がぜんぜんでないので思い切って「ニナリッチの件はどうなっているのですか」と聞いたところ「実は話が行き詰っている」とのこと。

「なぜですか」と聞くと「話が大きすぎて対応しきれないことが分かったから」と。

あまり多くは語られなかったので真相は分かりません。

ここで、磁器のアクセサリー・ジュエリーのメジャーデビューのチャンスが潰えてしまいました。

しかし、なんとかしたい・・・。

  


2009年07月18日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(6)

ニナリッチとの契約がどんな理由にしろうまく行かなかったことは、人事とは思えず非常に残念でした。

ビッグなブランドで磁器のアクセサリー・ジュエリーが販売されれば、とてつもない市場が開拓され、焼き物業界をも変えるかもしれないと思っていまた。

何かを変えようとしたら、大きければ大きいほど難しいことを実感。

それはさておき、自分自身がどうして行くか決めなければなりませんでした。

その時期陶芸を独学していたので、この際本格的に取り組んで自分で装身具を作ろうと決断しました。

そこでいきなり買ったのが独学秘話(1)で紹介した陶芸窯です。

作っていくうちに、伊万里焼の装身具へのこだわりがだんだん強くなってきました。  


2009年07月21日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(7)

焼き物の最高峰伊万里焼の鍋島は気品があり、“磁器のダイヤモンド”と称され数百年もの間人々に愛され続けています。

また、17~18世紀ヨーロッパ諸国に輸出された古伊万里は“白き黄金”と呼ばれて大変貴重なもので、中でも燭台・シャンデリア・飾り壺などは金具を取り付けて豪華な宮殿の装飾品として王侯貴族を魅了しました。

その伊万里ブランドは世界のブランドとして生き続け、ヨーロッパ磁器には伊万里のデザインが脈々と受け継がれて現在も制作されています。

こんなに美しく価値ある伊万里焼が、真珠のように誰もが持っている装身具になぜならなかったのか、疑問さえありました。  


2009年07月22日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(8)

装身具のなかで宝石であるための必要条件には美しさ、耐久性、希少性の三つがあります。

この必要条件が伊万里焼には十分揃っているのです。

①美しさ
美しさについては、真珠の輝きによく似ていて柔らかく温もりさえ感じさせる光を放ち、色についても無限といっていいほどさまざまな色を出すことが可能で、美しさを否定するところはどこにもありません。


  


2009年07月23日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(9)

 ②耐久性
耐久性は何百年経っても色が変わったり、腐食したりするようなことはなく取り扱い方によっては永久ともいえます。また、割れるのではないかと心配されますが、それは壺や皿など落としたら割れるという経験的イメージから来るもので、ジュエリーパーツとしての磁器はそれに比べるとごく小さく非常に割れにくいものです。

例えば、ダイヤモンドが壺や皿のような形状なら落としたら割れます。硬度は非常に固く傷は付きにくいのですが、衝撃にはもろさがあります。
ダイヤモンドが割れないというイメージは小さいがゆえに落としたくらいでは割れないのです。
それと同じように、磁器も小さくなればなるほど割れにくくなり落としたくらいでは割れることはありません。
ちなみに、モース硬度を比較するとダイヤモンドは10、磁器は7~8、真珠は3~4となっており磁器はエメラルドや水晶と同じ硬さを持っています。したがって、非常に傷がつきにくくいつまでも光沢をなくしません。
また、セラミックは最高の義歯とされおり、これは、人間の歯の硬度と同じで人の肌に最も違和感の無い硬さゆえで、肌に触ることの多いジュエリーの素材として最もふさわしいと考えられます。


  


2009年07月24日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(10)

③希少性
希少性が特に問題になるかと思われますが、17~18世紀にかけては磁器そのものが大変稀少で価値があったのですが、現在は皿や壺などの磁器は大量に生産可能です。

しかし、ドイツのマイセンやフランスのセーブル、日本の柿右衛門窯や作家の先生が創る磁器作品は非常に高価な価値を保っており、これは高い技術と芸術性を保ちつつ少ない生産量を維持し、ブランドイメージを確立しているかだと思います。

ということは、これから伊万里焼の装身具を作っていくうえで、そのような条件を備えていけば希少性が生まれ保っていくことが出来ると考えました。  


2009年07月27日

なぜ伊万里焼の装身具だけ作るのか?(11)

詩人で評論家の松永伍一先生に出会ったのがきっかけで、私の仕事に対する考えが変わりました。

先生から頂いた「技は 命の力であり 藝は 心の歓びである」という言葉が、私の進む道を照らしてくれています。

これは「高度な技術力によって作品に命が吹き込まれ、人に歓びを与えられるようになったとき、その作品は藝術の域に達する。」と私は理解しました。