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Posted by さがファンブログ事務局 at

2011年10月07日

売り上げゼロ円

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑯ 


「今回は何も注文するのはないからまたにするよ」

「先月注文したばかりだからな・・」

「さっき有田の商人さんが来て注文したところだよ」

行くとこ行くとこ門前払い同然だ。

「なんとか見本だけでも見ていただけませんか」

「今忙しいからそんな暇ないよ」

「そこをなんとか」

「じゃあその辺に広げといて」

30分待っても1時間待っても見に来てくれない。

1時間半くらいたったころ。

「すまんな・・今回はいいよ」

一日目の売り上げはゼロ。

安宿に泊まったが眠れなかった。
  


Posted by 青風 at 08:20Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月08日

ショーウィンドに映る姿が・・

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑰ 


次の日も次の日も似たような結果だ。

重たい見本かばんを担いでいるうちにスーツはよれよれになり、ショーウィンドに映る前かがみに歩く自分の姿が情けなかった。

「人生とは重たい荷物を背負って坂道を登るようなものだ」と言う言葉を思い出した。

符丁も数十ページもある虎の巻の単価表も全く使うことはなく、だめだ、だめだと落ち込んで迎えた最終日。

やっと少し大きな注文が入った。

しかしこれは前任者が以前から進めていたものでたまたま私が訪問した時に決まったもの。

10日間の出張で交通費さえ稼げず情けない結果で会社に戻るのがつらかった。

冷やかな目線を感じた。

自分がそう見えたのかもしれない。
  


Posted by 青風 at 07:02Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月11日

ホテルが建つ

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑱ 


何回か行っているうちに担当者や店主と世間話が出来るようになったころから、少しずつ注文が入るようになってきた。

中には訪問すると必ずコーヒー飲みに行こうと誘ってくださる店主もいて、こうなると色々の情報が聞けるので仕事もやりやすく楽しくなる。

「今度この近くにホテルが建つよ」

「そうですか、じゃ是非御社で食器を入れてください」

「そのつもりだよ」

「その節はぜいうちにお任せください」

「そうだな」

ホテル建設が進んで食器選定が行われ、期待を膨らませていざ結果を聞いて見ると・・・

「すまん他の商社に決まったよ」

「・・・・」

難しい。

大きな仕事になると、多くの業者が狙っているので、裏では争奪戦が激しい。

この辺が私は下手だ。
  


Posted by 青風 at 08:30Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月12日

職人さんは親切

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑲ 


一年も過ぎるとある程度の仕事は出来るようになったが、相変わらず大きな仕事は取れない。

自分の中では一人前に仕事をするには二倍も三倍も努力しているような気がした。

ひと月の間に10日前後出張に出て後は会社内で色々な仕事をするのだが、私は窯元に行って集荷をするのが大好きだった。

作業場に行って制作している職人さんの仕事ぶりを見ていると飽きないし一つ一つの工程に興味が湧いて、なるほどなるほどとまるで自分でやっているような感覚だった。

職人さんと仲良くなり作業の内容を質問すると親切に教えてくれた。  


Posted by 青風 at 08:27Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月13日

似た者同士

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・⑳ 


お得意先で窯元の様子を細かく話しをすると、興味を持ってくれて営業にもつながった。

しかし、そういうお店はコツコツと丁寧に売っていくところで、大きな取引はあまりない。

私はそういう商売をしているところが好きだった。

というより自分に向いていると言った方が的確だ。

あるとき店主が「立川君は作る方が向いているのではないか」と。

一瞬ドキッとした。

そのころ、家では陶芸の本を買って勉強を始めていたのだ。

「そうかもしれません」

すると店主が「実は僕も本当は作ってみたいんだ」。

どうも似た者同士のようだ。
  


Posted by 青風 at 08:26Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月14日

計画は立てたが

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・21 


一年半もすると営業もかなり慣れてきて、大口の注文は取れないがなんとか一人前ぐらいは出来るようになった。

あるとき会社でちょっとしたトラブルがあり、辞めて自分で何とかならないだろうかと考えだした。

有田は問屋に勤めて経験を積み独立する人間が多く、その人たちのことを見ていると、“自分でもできる”という変な自信が生まれ、日増しに強くなっていた。

自分の中では着々と計画を立て準備を進めていったが、親戚のつてで就職しているので簡単には言い出せない。
  


Posted by 青風 at 07:58Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月15日

いまにみてろ

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・22 


両親に辞めて独立したいと告げると、当然のように父親に烈火のごとく怒られた。

「たった2年半しか勤めていないのにおまえに何ができる!」

「だいいちお世話になった会社に恩返しが出来るのはこれからではないのか」

「お世話いただいた親戚にも迷惑がかかるぞ」

今考えると常識的であたり前の言葉が次から次に浴びせられたが、その時は聞く耳を持たなかった。

思いとどまるよう説得されるが、私も決断した以上一歩もひく気はなかった。

母親も父と同じ。

親戚も廻り全部「よし頑張れ」と言ってくれる人は一人もなく、反対はしなくても心配で賛成もしてくれません。

ただ、こうなることは覚悟の上で独立宣言したので、悩むこともめげることもなく「いまにみてろ」と心の中で呟いていた。
  


Posted by 青風 at 06:09Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月17日

強行突破

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・23 


販売の方で独立することだけを表にだして、将来は自分で作るということは一切誰にも口にしなかった。

それを言うとおそらく、怒りを通り越して「ばかじゃないか」と言われることは目に見えていた。


1、会社にはお世話になったから、これまで営業で回ったお得意先を自分のお客様にはしない。

2、お世話いただいた親戚には自分で話をしてお詫びをいれる。

3、親に対して資金援助などは一切求めない。

4、家業の農業の手伝いは朝晩休日を含めで出来る限りする。

5、それを家賃と食費代にさせてくれ。

以上の条件を出しても許してはくれなかったが強行突破した。
  


Posted by 青風 at 07:02Comments(2)●職人の営業奮戦記

2011年10月18日

計画書を見せてくれ

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・24 


一大決心をして紹介者に会社を辞めて自分でやりたいことを伝えると、驚きと同時にさまざまな質問をされた。

「会社で何かあったのか」

「仕事が面白くないのか」

「人間関係で悩んでいるのではないのか」等々・・・。

とにかく自分でやってみたいことを伝えると、私の決心が強いことを理解していただき「しょうがないな」となった。

しかし、親戚ということがあって、とても心配していただき、独立して自分でやるのだったら、それなりの計画があるはずだから計画書を見せてくれと求められた。

経営者としての判断をされるのだ。

困った・・・・。

そこは有田でも大手の窯元だから私の本心である、将来は自分で作るつもりであることは絶対に言えない。

素人がとんでもないこととあきれられるに違いない。
  


Posted by 青風 at 07:09Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月19日

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・25 


嘘の計画書を書くことになった。

今思えば恥ずかしいほど幼稚な計画書でおまけに嘘まで書いて恩ある人に申し訳なかった。

両親に一方的に突き付けた約束と、販売方法を用紙2枚程度に書いた簡単なもの。

独立資金がわずかなので、先ずはカタログ販売を主にし、のちに資金力が付いてからコーヒーカップ専門の卸をするという内容。

社長はそれを見て、感想は一言もなく「ま、がんばんさい」とだけ言って、幼稚な計画書を返してくれた。

そして、勤めている会社には社長が自分から言っておくからと。

私も「ありがとうございます」と一言だけお礼を言ってそこを去った。

何ともいえず重たい空気を感じた。
  


Posted by 青風 at 08:32Comments(2)●職人の営業奮戦記

2011年10月20日

社長から呼ばれた

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(1)
・・・独立前夜・・・26 


数日後勤めている社長から呼ばれた。

「辞めたいそうだな」

「はい申し訳ありません」

「・・・・・・・」

「・・・」

「いつやめる」

「引き継ぎと残務整理がつき次第と考えています」

「わかった」

少ない会話で終わった。

社内の同僚にも伝えたが、反応はさまざま。

現場のおばちゃんたちは「元気でがんばらんばたい」と惜しみながら応援してくれ、心に沁みた。
  


Posted by 青風 at 07:01Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月21日

独立だぁーーー

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・独立・・・1 


決断してから数カ月後独立。29歳。

「立つ鳥跡を濁さず」

後々誰とどのようなかかわりが出てくるか分からないので、出来るだけ丁寧に退職の準備をした。

それでも当時は今のようにドライな時代ではないので、裏切り行為のように言われることもあり、濁りまでは出なくても波は立った。

会社を退職した日に海に行き「独立だぁーーー」と叫んで自分を奮い立たせた。

決断してからの数カ月間自分の考えを本当に理解してくれる人が一人もいない中で、不安が全くないわけではなかったが、これからの夢や希望に自分の意思で突き進んで行けることに対する喜びの方が大きく、冷静に喜んだ。

夜は行きつけのスナックに行き一人で乾杯。

ママさんは喜んでくれた。

社交辞令でも賑やかに喜ばれる旅立ちの方がいい。
  


Posted by 青風 at 07:00Comments(2)●職人の営業奮戦記

2011年10月22日

感激

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・独立・・・2 


名刺を作り近くの知り合いに名刺配りから始めた。

有田の商社に勤める前までお世話になっていた造船所を訪ね、下請け会社の一軒一軒お一人お一人にあいさつして回った。

3年半ぶりに会った。

「伊万里焼と有田焼の卸と小売りをするようになりましたのでよろしくお願いします」

「久しぶりだね、君が独立したのなら何か買ってあげるよ」

「どうしているか心配していたけど元気だったね」

「ちょうど良かった今度大阪に帰るので、伊万里焼のお土産を持って行くよ」

会う人のほとんどが祝ってくれ、涙が出そうに感激した。
  


Posted by 青風 at 07:15Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月24日

売れた

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・独立・・・3 


社交辞令だと思っていたがそうではなかった。

一週間に一度営業に出かけると本当に注文が次から次に入った。

納品するとその帰りには注文を頂くこともあり、口コミでの広がりもあって電話で呼び出されることも。

造船業界が回復しつつあったのも助けとなって、数十万の作家ものを買ってくださる人もいた。

ただこれが何年も続くはずはなくせいぜい半年か一年がいいところだろうと予想できた。  


Posted by 青風 at 08:08Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月25日

無視

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・独立・・・4 


私のことを気にかけていただいていたのは、ある出来事がきっかけになったと思う。

造船所の下請け会社に入社して1年を過ぎたころ、元請け会社主催の運動会が開催され、勤めていた会社は下請会社グループの事務局をしていたので、会社から運動会の総責任者をやれという社長命令がおりた。

運動会実行委員会に出席し準備がスタート。

さまざまな準備がある中で最も重要なのが選手集め。

書類を持って各会社に選手名簿を作ってもらうためお願いに行く。

「わかったそこら辺に置いといて」

「よろしくお願いします」

後日

「名簿は作っていただいたでしょか」

「うんちょっとまって」

一回目ではほとんど集まらなかった。

二回目三回目少しずつ集まり始めたが、数社が無視に近い状態。
  


Posted by 青風 at 07:02Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月26日

しつこいなッ!

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・独立・・・5 


何回も提出依頼に回っていると、

「しつこいなッ!そんな暇ないよ!」と怒鳴りつけられた。

業者グループの事務所は同フロアの同じ部屋に仕切りもなく集まっていたので、すべての会社に声が届き一斉に私たちの方を振り向いた。

私は突然の大声に身がすくんで「すみません」と一言いってその場を離れた。

はけ口のない悔しさでその晩は、たいして強くもないのにやけ酒。

二日後名簿の締め切りが迫っていたので、勇気を振り絞ってもう一度お願いに回った。

するとそれまで無視状態だった会社が、

「できてるよ」

「明日まで待ってくれ」と。

怒鳴られた会社も「今、当たっているから明日まで待ってくれ」と、一転して協力的になった。


  


Posted by 青風 at 07:00Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月27日

本番当日

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・独立・・・6 


応援団長も兼任していたので昼休みには孫請けの若い人たちと応援の練習。

高校時代に体育祭の学友団長をした経験があったので、結構順調に行きだんだんと盛り上がってきた。

本番当日、午前中の成績がなんと総合二位。

元請け会社の総務部長が「立川君やるじゃないか、始めてだよ、二位なんて」と声をかけてもらった。

昼食の時間に喜びもあって、みんな飲み始めた。

これがいけなかった。

現場作業員は若くてやんちゃな人間が多く、ぐいぐいとアルコールが入り、午後からの出番が来ても

「もういいよ、よっぱらったから誰かほかの人を出してくれ」

「○○はさっき帰ったぞ」とめちゃくちゃの状態になってしまった。

かくして順位は最下位に終わった。
  


Posted by 青風 at 08:56Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月28日

1日100軒回った

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・独立・・・7 


運動会後は多くの人たちが親しく声をかけてくれるようになり、仕事もやりやすかった。

一生懸命が届いたのだと思う。

私が会社を辞める時多くの人が惜しんでくれた。

その人たちが注文をしてくれているのだ。


今のうちに何とか次の手を考えなければ。

個人の需要がこれだけあるのなら、知り合いでなくても少しは売れるのではと思い、訪問販売を試みた。

隣県の福岡県を中心に一軒一軒ドアホンを鳴らし、

「こんにちは有田焼と伊万里焼をお安く提供できますが・・」

「そんなのいらん」

一日100軒は回ったが、玄関を開けて話を聞いてくださる方は一人か二人。

最低でも三カ月は続けないと結果は出ないと思い、来る日も来る日もドアをたたいた。

しかし、結果は売上0円。
  


Posted by 青風 at 07:59Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月29日

30年前のカード会員

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・独立・・・8 


一流デパートで売っている商品と同じものが、流通カットにより格安で買えるのだから、お客さまにとってはメリットがあるので商売の理屈としては間違っていないと思っていた。

だから、今は必要ないから買わないのであって、いつかは買われる時があるはずだから、そのタイミングをどう掴むか。

ともう一つ問題なのは信用力だと考えた。

この問題を解決するために、カード会員を集めることにした。

有田焼の商社2店舗・伊万里焼古陶磁店・唐津焼窯元と特別協力店としてホテル・喫茶店・ステーキの店・料亭などと提携し、利用時にカードを見せるだけで割引を受けるというものだ。




※これは30年前のカード会員募集のチラシです。  


Posted by 青風 at 07:07Comments(0)●職人の営業奮戦記

2011年10月31日

またも失敗

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・独立・・・9 


当初年会費をもらって会員を集めようとしたが、知り合いが義理で会員になってくれただけで広がりは出なかった。

そこでカードをただで配ることにした。

以前訪問販売で訪ねた家に配って回った。

カードの有効期限を1年としていたので最低でも1年間は待たないと結果が分からない。

かくして結果は・・・さすがに0円ではなかったが、商売として成り立つまではなかった。

  


Posted by 青風 at 08:23Comments(0)●職人の営業奮戦記