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Posted by さがファンブログ事務局 at

2011年08月27日

韓国釜山市役所からのメール


  先日、駐日本釜山市貿易事務所から以下のメールが届きました。参考までにお読みください。ロッテホテル宿泊費用(3日分、朝食込み)、商談会場、通訳、視察経費など無料提供だそうです。日本の行政もここまで積極的に、貿易に対して取り組んでいるのでしょうか。どなたかご存知の方教えてください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◆ここからは届いたメールをコピーしたものです。韓国釜山で輸入をご検討いただく日本国内の各企業関係者各位(代表様、購買・仕入れ担当者様、貿易担当者様、サービス担当者様、調達担当者様ほか)突然のメールで失礼いたします。駐日本釜山市貿易事務所 所長の張玉世(チャン・オクセ)と申します。当事務所は、韓国釜山広域市庁が運営する市役所直下の組織のひとつで海外現地の貿易支援機関であり、アメリカのLA、中国の上海、ベトナムのホチミン、そして日本では、大阪に拠点がございます。韓国企業の海外進出を支援することが主な役割となります。ホームページ:http://www.busan-jp.com この度、韓国釜山広域市庁主催の 「2011年下半期釜山市貿易商談会」 を開催させていただくことになりました。つきましては、関連企業さまに、ぜひご参加をお願い致したくご連絡させていただいた次第でございます。商談会の概要は下記の通りです。----------------------------------------------------------------------------1.日 時 : 2011年11月15日(火)~11月18日(金) 3泊4日2.会 場 : 釜山ロッテホテル(※商談会場と宿泊先は同じです)3.主 催 : 韓国釜山広域市庁(駐日本釜山市貿易事務所)、        釜山経済振興院4.協 力 : 大阪商工会議所、大阪府商工会連合会、財団法人 大阪産業振興機構、   財団法人大阪国際経済振興センター5. 日 程 :  ○ 団体商談会 : 2011年11月16日(水)09:30~17:00 (メイン行事) ○ 個別商談会 : 2011年11月17日(木)希望者のみ ○ 視察(予定) : 2011年11月17日(木)希望者のみ   -釜山港や市内の観光及び主要工場見学   (希望者が少ない場合は中止する場合もございますので、予めご了承下さい。)6. 参加資格 : 釜山企業から購買を希望する全国の日本企業7. 主な商談品目 : 釜山地域企業の一般産業全種目が対象(以下は例)    ・靴、衣類、食品、家庭用品、レジャー関係、美容、健康、IT等。    ・その他工業製品関係     一般機械類及び機械部品、金型、造船関連機材、鋳物、成型品、電気関連、鉄鋼製品、各種エンジン関係、金属、化学、自動車関連全般、     精密機器など。8. 参加者(日本)へのインセンティブ(1社につき原則1名、人数追加は要相談) :     ロッテホテル宿泊費用(3日分、朝食込み)、商談会場、通訳、   視察経費など無料提供。   ※ただし、航空費などの渡航費は参加者ご本人様の負担とさせていただきます。   また、商談成果に関する要求などは一切ありません。9. 申し込み : 添付の申込書・要望書に必要事項をご記入の上、         FAXまたはメールにてご返送下さい。         締め切り:2011年9月16日(金)18:00----------------------------------------------------------------------------ご不明な点、ご質問等ございましたら、お気軽にお問い合わせください。突然のご連絡ではございますが、ご検討のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。<<添付ファイル>>①2011年下半期釜山市貿易商談会のご案内と申込書-掲載依頼分(20110822).xls②2011年下半期釜山市貿易商談会のご案内と申込書-掲載依頼分(20110822).pdf▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼※お問い合わせ: 駐日本釜山市貿易事務所住所 : 〒 541-0053 大阪市中央区本町2-1-6 堺筋本町センタービル16階TEL : 06-6261-3400~1、 FAX : 06-6261-3402URL : http://www.busan-jp.com 、E-mail : busan@work.odn.ne.jp担当 : 柳(リュウ)▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲  


  


Posted by 青風 at 09:31Comments(0)○日記

2011年03月17日

被災者にどなたか教えてあげてください

私はツイッターもフェースブックもできませんので、どなたか被災者に伝えてください。

被災地は雪まで降ってとても寒い思いをされているようですので、暖の取り方の一つです。

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硬めのペットボトルに水(川の水・雪を溶かした水・海水でもOK)を入れて火のそばに直接置いて温めます。それを湯たんぽ代わりにできます。

かなり熱い場所において温めても大丈夫です。水が入っていると100度以上はなりませんので変形したり燃えたりしません。紙鍋が燃えないのと同じです。紙鍋は燃えない紙を使っているわけではなく、単に水が漏れなくしているだけです。

焚火の前・残り火の前・ストーブの前などに置いて温めてください。
私はこの冬ファンストーブの前に置いて温め使いました。

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以上どなたか伝えて頂ければ嬉しいです。

よろしくお願いします。  

Posted by 青風 at 15:53Comments(0)○日記

2011年03月12日

ご冥福とお見舞い

東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになった方々に対し、心からご冥福をお祈り申し上げます。

また、お怪我をされたり、家屋等をなくされた方々に対し、心からお見舞い申し上げます。

これ以上の言葉が見つかりません。  

Posted by 青風 at 08:37Comments(0)○日記

2010年07月13日

飛び立つ数時間前

ヒヨドリのヒナが飛び立ちました。


5日目くらいです。


10日目飛び立つ数時間前の雛たちです。
いつの間にか4羽ともいなくなりました。

仕事をしながら目線を動かすだけで、ヒヨドリの子育てを見守りましたが、色々な発見がありました。

ヒナが餌をもらって食べるとすぐさま糞をします。その糞を親鳥がくちばしで取り呑みこんでいました。ですから巣の中はいつもきれいです。

2羽の親鳥(おそらくつがい)がそれぞれ餌を運んでヒナに食べさせるとこもありました。

雨の日は、ヒナが濡れないように羽を広げて守っていました。

自然界に感動です。  


Posted by 青風 at 16:29Comments(0)○日記

2010年07月06日

驚きの大きな餌

工房の私が仕事をしている窓からヒヨドリの子育ての様子が良く見えます。



大きな餌ですね。



ヒナは4羽いますがどの子に餌をやったか良く覚えていますね。(^_^)

  


Posted by 青風 at 17:19Comments(0)○日記

2010年07月04日

今年は無事ひなが・・・

昨年はたまごの時に蛇に呑み込まれてしまい自然の厳しさを感じました。

今年は無事ひながかえりました。

工房の前のハナミズキの枝にヒヨドリが巣を作り、雛にせっせと餌を運んでいます。



口を大きく開けて餌を待っていますが、このときは親鳥はいませんでした。

実は私がチューチューと音をだしたら、親鳥が来たのと勘違いしたようです。

ひなは音に反応すんですね。



親鳥が餌をやった後ちょっと一休み・・・?雛を抱いています。
  


Posted by 青風 at 06:06Comments(0)○日記

2010年06月07日

パリに咲いた古伊万里の華に

やっと行って来ました。

九州国立博物館で開催中の「パリに咲いた古伊万里の華」展。


この案内チラシのピンクはこれまでの焼き物のイメージカラーには無かった色です。

これを見たときポンパドゥール ピンクを思い出しました。ポンパドゥールはルイ15世に見初められ、フランス国王の公式の愛妾となった女性で、ピンク色を好んだといわれています。フランスのセーブル焼を確立したひとでもあり、セーブル焼の中でも数少ないピンク色をポンパドゥール ピンクと呼ばれているようです。

もしかしてここら辺から来たイメージカラーかも?

ところで、今回の展覧会は感動の一言です。これが個人のコレクションですからなおさらです。
フランスのパリに在住し、ヨーロッパに輸出された古伊万里を収集された碓井文夫さんは、最初は趣味の域で集められたいたのが、だんだんと体系づけた古伊万里を自分が収集しなければ・・・と思うようになられて、それを実行されたそうです。

その一部が今回日本で初めて公開されています。

九州国立博物のHPから一部抜粋してご紹介します。
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<ヨーロッパが愛した古伊万里の全容を>

 1659年(万治2)のヨーロッパへの輸出開始から約100年間に、多くの伊万里磁器が海を越えました。輸出が始まった初期の時代から、柿右衛門様式と呼ばれる優美な色絵磁器の時代へ、そして豪華絢爛で大作が多く作られた金襴手へと、100年の間に古伊万里もその様相を大きく変えていきました。
 今回の展覧会では165点の作品によって、100年間に古伊万里がたどった大きな流れを感じていただきましょう。それを通してヨーロッパの人々がどのように古伊万里を愛したのかをご覧いただきます。

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詳しくはこちらをご覧ください。

  


Posted by 青風 at 16:32Comments(0)○日記

2010年05月27日

前立腺がん体験談

前立腺がんでよく言われる症状は、排尿が困難になる、 尿が頻繁に出る 、残尿感がある、 下腹部に不快感がある などです。
私の場合、症状は全くと言っていいほどありませんでした。
市の集団検診の血液検査でPSA値がグレーゾーンにあり、要精密検査の通知を受けたのが始まりです。

1回目の検査は触診検査です。これは、肛門から指を入れて診断してもらうもので、ちょっと気持ちが悪いくらいで痛いという事はありません。結果は異状なしでした。

1年後血液検査で再び要精密検査の通知が来ました。PSA値が前年より上がっていました。
こんどは大学病院に行き、生検を受けました。これは、 針で前立腺の細胞を採って、がん細胞の有無を検査する方法です。
部分麻酔で肛門から針を入れられます。個人差はあるようですが私の場合は、細胞を採る時「ウッ」というくらいの痛みがありました。10個所の細胞を採取され結果は異状なしでした。

半年後同病院で血液検査をしたところ、PSA値が上昇していました。そこで、再び生検です。こんどは12か所の細胞を採取され、結果は異状なしでした。ただ、PSA値の上昇が気になります。前立腺肥大での上昇の場合もあるようです。
ちなみにこの検査は日帰りで済みます。

それから半年後PSA値がまた上昇していました。そこで、こんどは全身麻酔をしてさらに多くの細胞を採取することになりました。肛門からは針を入れて10箇所、肛門と睾丸の間から針を入れて6箇所です。
全身麻酔ですから腰からの麻酔時が少し痛いくらいで、後は全く痛さはありません。最低1日の入院が必要です。
この検査で肛門と睾丸の間からがん細胞が見つかりました。

私の気持ちとしては「やっぱり見つかったか」という感じです。
実は私の父も前立腺がんでこの病院で手術を受けていたのです。
前立腺がんは進行が遅く初期で発見すれば、殆んど完治すると聞いていましたので、殆んどショックはありませんでした。
ただ、転移のことが心配でした。

がん細胞が発見されてからは、転移していないかどうかの造影検査です。この検査も異状なしでホッと一安心です。

次は治療方法をどうするかです。
放射線療法、ホルモン療法、手術療法、最近話題になっている重粒子線療法(保険がきかないので300万円以上かかります)
などがあり、様々な条件をあてはめてどれを選ぶかです。
もう一つの選択肢として、治療はせずにしばらく検査をしながら見守っていくこと、つまり、がん細胞がもう少し大きくなってから治療する方法です。これは万が一の転移を考えると選べませんでした。

結果的に私は全摘手術療法を選びました。理由としては、早期発見で完治の可能性が高い事です。放射線療法の場合完治は50%程度で、もし、再発した場合は手術は出来ない。ホルモン療法はこの段階では薦められないとのことでした。
ただ、手術は病気とは別の要因で、低い可能性ではありますが命を落とす場合もある事を覚悟しておかなければなりません。
この事は良い先生に出会う事がより可能性を低くします。

ともあれ私は手術も成功し、術後12日目に退院しました。
現在2週間以上なりますが、尿漏れが続いています。ただこれは必ず治るといわれています。長い人で6カ月くらいかかるそうです。

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この体験談を読んて下さっている人が月間数十人もいらっしゃるようですので、その後の経過を書かせていただきます。
現在2012年の8月ですから、術後2年数か月です。

尿漏れは約6カ月でほぼ止まりました。PSA値も正常です。
お陰さまで手術は成功したと言えます。

ただ、先のブログでは書かなかったのですが、手術する前にすごく迷ったことがありました。

それは、前立腺の中には勃起機能の神経が2本通っているので、その神経をどうするかです。
残さず全敵の方が手術は簡単で、残して手術する場合は出血多量になることもあると。

また、残して手術した場合でも、勃起機能が回復する可能性は低いとのことでした。
もうひとつ、残した部分に癌細胞が残っている可能性もあると。但しこの可能性については私の場合は非常に低いとのこと。

当時58歳でしたので微妙な年齢です。

先生も判断は難しいので、本人で決めてくださいとのことでした。

そこで私は、先生に「神経を残して手術をした場合、手術中に出血が多く危ないと判断されたとき、その時点で手術の変更は可能ですか」と尋ねたところ、それは可能だとのことでしたので、その判断は先生にお任せすることにして、神経を残す方を選びました。

かくして6時間ほどかかり無事神経を残して手術は終わりました。

少ない可能性にかけて回復することを願ったのですが、1年を過ぎてもほとんど回復せず経過しました。ただ、1年半を過ぎたころほんの少し回復の兆しが見えてきました。
2年数か月経った現在ですが、ある程度回復しているのですが、手術前には程遠いです。

ちなみに、自慰行為では男なら分かるあの感覚はあります。但し、液は外には出ません。

前立腺がんも50歳代も増えてきていると聞いていますので、私のような迷いがある人も多いかと、参考になれば幸いと思い切って書かせていただきました。


  


Posted by 青風 at 20:07Comments(2)○日記

2010年05月23日

久しぶりの投稿です

5月7日から昨日まで病院に入院していました。

入院中に携帯から投稿しようと思っていたのですが、とうとう一回も出来ませんでした。(^―^) 


実は、前立腺ガンが見つかり摘出手術を受けてきました。

早期発見でしたので転移もなく今後は心配ありません。。
  
タグ :伊万里


Posted by 青風 at 10:51Comments(2)○日記

2010年05月02日

布絵でつづる 残したい心のうた

先日とても素敵な一冊の本を頂きました。



私が説明するよりまずはご本人の挨拶を読んで下さい。




これらが何と布絵です。心洗われなごみます。これはもう藝術です。


春夏秋冬歌のイメージに合わせて布絵で綴った100曲。

忘れられそうな歌。

忘れられそうな心。

忘れられそうな風景がそこにはあります。

著者は私の近所に住む元小学校の先生です。

お人柄がそのまんま出ている本です。

  


Posted by 青風 at 17:27Comments(0)○日記

2010年03月15日

アバターを見てきました

遅ればせながら話題の映画「アバター」を3Dで見てきました。

評判通りストーリーは単純ですが、映像の迫力は素晴らしいものがありました。

3D初体験で感動です。

動きが激しいシーンよりゆったりとしたシーンでの3Dは自分がその中に入り込んでいけそうで最高です!!

脳が刺激されていい影響を受けたような気がします。


今後「タイタニック」などこれまでに制作された作品が3D映像に編集されて上映さるようですが楽しみです。






  


Posted by 青風 at 17:49Comments(0)○日記

2010年02月21日

武雄焼??

2月20日の佐賀新聞の文化欄に

 ~統一名称「武雄焼」を発信~ と活字が躍った。

何十年も焼き物関係で生きていますが「武雄焼」とは初めて聞きました。

武雄の温泉水でも使って新しい焼き物が出来たのかと、期待しながら読んで行ったら、どうもそうでもないらしい。


<武雄系唐津焼から磁器まで幅広い作品を制作する武雄の陶芸関係者が、同市内の焼き物を『武雄焼』と統一して発信している>とあった。


良く解らないな・・・と思いながら読み進んで行ったら・・・・・。


「エリアをうるための名称と考えてほしい」とあった。

ますます解らなくなった。


「武雄焼」で市外県外国外で販売するとき、「武雄焼とはどんなものですか」とお客様から聞かれたときに武雄の人はどう答えるのでしょうか。

「エリアを売るための名称です」とお客様に言って納得するでしょうか。


伊万里では、世界のブランドとして今でも生き続けている「伊万里焼」を捨てて「肥前鍋島焼」とか「伊万里鍋島焼」などといい始めているし、なんとも凡人の私には理解できない事ばかりです。






  


Posted by 青風 at 22:08Comments(0)○日記

2010年02月08日

伊万里小学校育友会OBの「語日会」

語日会(ごんちかい)毎年2月5日開催。今年で15回を迎えました。

この会は地元伊万里小学校育友会(PTA)の役員をしていた時に出会った先生や保護者15名で年1回の集まりです。

伊万里地区で実施されていた「現地研究発表会」で当番校としてこのメンバーで研究発表をしました。

研究テーマが「言葉づかいと教育」。

当時アニメ「クレヨンしんちゃん」が爆発的に人気が出てきて、あの、大人を馬鹿にしたような言い方が問題視されていた時代です。


「思いやる 心で話そう 誰とでも」これは、児童から集めた標語の最優秀作品です。

私たちの心の中に今も生き続けています。



飲むにつれ、自然にその当時の思い出や子供のことなど、いつも他愛の無い話で盛り上がりますが、それがまたいいのです。(^_^)




  


Posted by 青風 at 12:48Comments(0)○日記

2010年02月04日

フリーペーパー「ポス」取材

生活情報誌「ポス」の取材がありました。

北九州版28万部、福岡版28万部、熊本版18万部、鹿児島版14万部、大分版10万部合計98万部。

九州では最高の部数を誇っているようです。

それぞれの地域情報と共通情報の2構成になっていて、食・旅・美容・健康など今の生活に密着した情報満載のフリーペーパーです。

北九州から若い女性が取材に来てくださいました。

質問の仕方がうまくけっこう沢山のお話をさせて頂いたような気がします。

もちろん載せて頂くのはほんの一部。

でも、若いお嬢さんがどこに興味を持たれたのかが楽しみです。




  


Posted by 青風 at 18:01Comments(2)○日記

2010年01月22日

九州国立博物館の「パリに咲いた古伊万里の華」展

本日1月22日付けの佐賀新聞に次のような記事が載っていました。

    ーーーーーーー 欧州に渡った古伊万里 --------

九州国立博物館は、江戸時代にヨーロッパに渡った伊万里焼をテーマにした特別展「パリに咲いた古伊万里の華」を4月6日から6月13日まで開催する。欧州輸出から350年を記念した企画で、約100年間続いた欧州での古伊万里ブームの実像に迫る。

パリ在住の碓井文夫氏が欧州で集めたコレクションの中から、柿右衛門様式の色絵磁器、豪華な金襴手の古伊万里など165点を展示する。貿易が始まった1659年から、中国・景徳鎮やドイツ・マイセンとの価格競争に敗れて貿易を終える1757年までを4章構成で紹介する。

宮殿の広間などに飾る磁器のニーズが高まり、金の絵の具を使った金襴手の大作が増えるなど、市場に合わせた作品の変遷が見所のひとつ。同博物館の伊藤嘉章学芸部長は「ヨーロッパでどのように愛されたか、大きな歴史の流れの中で見てほしい」と話す。酒井田柿右衛門氏の講演も予定している。
                                   (日高)
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上全文です。

この文中で「伊万里焼」「古伊万里」「柿右衛門様式」という表現を注意して読んでいただきたいと思います。

つまり伊万里焼の中で江戸期に制作されたものを「古伊万里」柿右衛門窯で制作された特徴的なデザインを「柿右衛門様式」と、共通認識とされている使い方をきちっとされていて、さすがは焼き物に詳しい佐賀新聞です。

4月から始まる企画展を今発表するということは、九州国立博物館がいかに力を入れようとしているかがうかがわれます。

4月が待ち遠しいですね。
  


Posted by 青風 at 22:17Comments(0)○日記

2010年01月14日

北大路魯山人展

北大路魯山人展

日本橋高島屋で18日まで開催されています。

皆さん良くご存知のように陶芸、書、画、漆芸、刻字など多岐に渡っての近代芸術の大家です。

その魯山人が陶芸のブローチや帯留を作っていました。(展示中です)


陶芸を志すけっこう多くの人が、自分表現の一つの方法として装身具を作っています。

魯山人が何を思ってアクセサリーを作ったのか浪漫を感じます。


  


Posted by 青風 at 12:30Comments(0)○日記

2010年01月12日

地域ブランド調査で日本一

ブランド総合研究所が行っている地域ブランド調査2008「産品購入ランキング」の調査結果で伊万里市は日本一です。(産品は非食品)

日本中で買いたい産品がある地域で伊万里市が№1なんですよ。

産品はもちろん伊万里焼です。

これは他の地域が羨むほどすごいことです。

それなのに伊万里焼を使わないとは・・・・・実にもったいない話です。

詳しくはこちらをご覧下さい。




  


Posted by 青風 at 12:40Comments(0)○日記

2010年01月09日

伊万里焼の名称が消えていく

ご存知のように、肥前地区(佐賀長崎県)で焼かれた磁器が、伊万里の港から積み出されたことから伊万里焼と呼ばれるようになりました。

有田が日本磁器発祥の地なら、伊万里は日本磁器発祥の名称といっていいと思います。

近年肥前地区の焼き物は伊万里焼・有田焼・波佐見焼きなど各地名で呼ばれるようになっています。

ただ、中身はというとほとんど変わりません。

磁器の原料、釉薬、焼成方法は各窯元で多少の差があるだけで基本的には同じです。

歴史的に見ても商品に違いがないことからも、伊万里焼○○産とした方がもっとも分かりやすいと私は思っています。

お客様にとってもすっきりとして分かりやすいでしょう。

私が展示会で伊万里焼として販売していると、伊万里焼と有田焼はどう違うのですかとよく聞かれます。

そのたびに、同じだということをいつも説明しなければなりません。


しかし、地名で呼ばれるようになっている以上、それを受け止めながらやっていかなければと思っていました。

それなのに先日、東京の百貨店で目にしたのは、伊万里の窯元で焼いている焼き物が、ある商品は有田焼、ある商品は肥前鍋島焼と表示されていて伊万里焼の名称はどこにもありませんでした。

鍋島を使うなら伊万里焼鍋島調とするのがもっとも分かりやすいと思います。

どうしたのでしょうか?


話はちょっと変わりますが、コーヒーの「モカ」を多くの方がご存知だと思います。

この「モカ」という名称はアラビアで生産されたコーヒー豆がモカという港から積み出されたことから、「モカコーヒー」と呼ばれるようになったといわれています。

現在モカコーヒーの産地はアラビア半島南西部にあるイエメン共和国の山岳地帯とアフリカ大陸北東部にあるエチオピアの高原高地のようです。

モカという港は現在はなくなっているにもかかわらず、コーヒーの代表的な名称として使われています。

このことが何を意味するのか、肥前地区に住む私達は考えなければならないと思います。









  


Posted by 青風 at 23:06Comments(3)○日記

2010年01月08日

ルビコンの決断

昨夜テレビ東京の「ルビコンの決断」ふるさとは大丈夫か?をみてふと20年以上前に書いた論文を思い出しました。

廃れ行く商店街を何とかしなければと、二人の人間が苦闘しながらも20年もの歳月をかけて成し遂げた商店街の再生。

香川県高松市にある高松丸亀町商店街がそれです。

全国で商店街が衰退していく中でここは、5年前に比べて人通りは数十パーセント増、売り上げは3倍と見事に生まれ変わったようです。

詳しくはこちらをご覧ください。


実は私も伊万里の商店街再生で、毎日新聞社主催「毎日郷土提言賞」の論文を書いた経緯があります。

佐賀県優秀賞を頂いたまではよかったのですが、それを自分で実行しようとしなかったことが、昨日のテレビをみて自分自身が情けなくなりました。

ただ、読み返してみてかなりの部分が現在でも通用するなと、改めて感じたところです。

論題は「ファッションタウン伊万里」。

もし、興味がおありの方は私のプロフィールページの1984年のところからご覧ください。

  


Posted by 青風 at 21:32Comments(0)○日記

2009年12月12日

裏切らなかった劇団宍の会

地元劇団宍の会の公演「伊万里川」

温かく笑いました。

深く涙を流しました。

やはりいつものようにすばらしい公演でした。


トンテントン・・・・と打ち鳴らす太鼓の音が一人の人間の心の奥底で、生きる力をはぐくんでいたのです。

戦後の焼け野が原に捨てられた少年の脳裏にかすかに残っていた「トンテントン」と響く音。

50年を経たある日、テレビから流れてくる太鼓の音でかすかに蘇ってきた思い出を頼ってたどり着いたのが、伊万里川の河畔宿。

そこに勤めるおばあさんが・・・・




  


Posted by 青風 at 22:24Comments(3)○日記