2011年12月03日

別れ

ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
 
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・家族・・・8 


6月に結婚し翌年の春に子供を宿ったことが分かり、家族は大喜び。

母が最も喜んだ。

その喜び様を見て、私も妻も嬉しさとともにどことなくほっとした。

このころの母は元気で本当に病気が治ったのではないかと思うくらい行動範囲も広く、妻も色々と教えてもらっていた。

俗に言う嫁姑の問題もなく家庭は平和な日々。

そんな中で、真夏を過ぎたころ、私の長男が生まれてきてくれた。

私は仕事の都合で出産のときは傍にいてやられなく、そのことで今でも妻には頭が上がらない。

母が元気な時に生まれてきてくれたのでとにかく喜んでくれた。


しかし、そのころは床に居る時が少し長くなっていた。

父母も病院に見舞いに行き孫の顔を見て顔がほころんでいたのを昨日のことのように思い出す。

妻は退院し実家で産後の養生をすることに。

実家は車で15分程度と近かったので私は毎日通うことができて子供の顔をみるとその日の疲れが吹き飛ぶようだった。

ある日、母が突然、どうしても孫の顔を見たいと言い出したので、急きょ連れて帰ることに。

母のベッドに一緒に寝せて母がいとおしそうに何度も何度も孫の頭をなで、「よう来たね・・よう来たね」と涙を浮かべていた。

安心したようにゆっくりと孫をベッドに横たえて、母も寝入ったようだった。


しかし、その日の夕方容体が急変し緊急入院。

ICUに入り酸素マスクをしていたが苦しそうに息が荒い。

親戚に連絡を取った。

家族親戚で母のベッドを囲んで苦しそうな母をどうすることも出来ずに見守った。

夜中を過ぎ明け方、急に母が身体を起こし何やらわけのわからない声を発した。

それから息が小さくなり30分も経ったろうか、父が大きな声で「おいっ!ハルコ!おいっ!ハルコ!」と呼びかけたが母からの返事はなく安らかに永遠の眠りに就いた。

享年61歳。

孫が生まれて19日目。

癌の宣告をうけて2年を過ぎていた。


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