2011年11月30日
見放されたように感じた
ーーー独立30周年を記念して綴っています。ーーー
薬の投与も終わり少しずつ元気が出てきて、泊まり込んでの看病はしなくてもいいようになった。
作品づくりの時間がとれるようになり失敗を繰り返しながらも色々な物が作れるようになって、おもしろくてたまらない。
営業マンの時は味わったことのない充実感と喜びが毎日続いた。
病院に行くと母が仕事のことを聞いてきた。
独立するときも窯を購入する時も猛反対していて母だったが、あるとき知り合いのおばさんからこんな話を聞いた。
「あんたのお母さんから、焼き物はいらんね?と言われたばい。独立して焼き物屋しよるてねぇ。あんたのお母さんも一生懸命ばい」と。
私には一言も言わないで蔭では応援してくれていたのだ。
母らしい。
仕事は順調であることを伝えると安心した様子で、取りとめもない世間話をした。
ときが経ち退院して自宅療養することになったのだが、退院の日に先生から「今度入院するときは近くの病院でいいですよ。看病もその方が楽でしょう」。
先生にとっては当たり前のことを普通におっしゃったのでしょうが、何となく見放されたように感じてしまった。
【職人の営業奮戦記】(2)
・・・家族・・・5
薬の投与も終わり少しずつ元気が出てきて、泊まり込んでの看病はしなくてもいいようになった。
作品づくりの時間がとれるようになり失敗を繰り返しながらも色々な物が作れるようになって、おもしろくてたまらない。
営業マンの時は味わったことのない充実感と喜びが毎日続いた。
病院に行くと母が仕事のことを聞いてきた。
独立するときも窯を購入する時も猛反対していて母だったが、あるとき知り合いのおばさんからこんな話を聞いた。
「あんたのお母さんから、焼き物はいらんね?と言われたばい。独立して焼き物屋しよるてねぇ。あんたのお母さんも一生懸命ばい」と。
私には一言も言わないで蔭では応援してくれていたのだ。
母らしい。
仕事は順調であることを伝えると安心した様子で、取りとめもない世間話をした。
ときが経ち退院して自宅療養することになったのだが、退院の日に先生から「今度入院するときは近くの病院でいいですよ。看病もその方が楽でしょう」。
先生にとっては当たり前のことを普通におっしゃったのでしょうが、何となく見放されたように感じてしまった。
Posted by 青風 at 08:26│Comments(0)
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